上畑鉄之丞先生を偲んで
全国労働安全衛生研究会学監 五味 明大
私が上畑先生を一方的に知ったのは1970年代後半から80年代中まで国民春闘会議・日本労働者安全センター主催で毎年開催された『労働安全衛生学校』の受講生の時でした。
4年間くらい東京芝や総評会館に通って多くの学者・弁護士・医師・組合役員等から職場の労働安全衛生から労災職業病関係を学びました。日本労働者安全センターにも出入りをして私の職場の安全衛生・職業病闘争における指導助言を得てきました。センターからは職業病罹病者の治療問題や安全衛生委員会活動のための医師や弁護士も多く紹介を受けました。その中に上畑先生がおりました。
初めて上畑先生にお会いしたのは1980年7月9日の杏林大学でした。安全週間行事の講演依頼でした。16日には会社に来ていただき秩父工場見学と工場長以下従業員800名に対して『婦人労働者と職場環境』の講演をいただきました。安全衛生委員会主催だったので会社に交渉した破格の謝礼に上畑先生が後日『五味さんいいの?』と言ったことが思い出されます。それ以来、埼玉労災職業病研究会の講座や個人的な業務上認定闘争に対する意見書作成等への多大な援助を頂いたのです。
全国労働安全衛生研究会が発足(当時は全国労災職業病研究会)したのは1990年8月静岡の地でした。同時に開催された第一期労働安全衛生学校に講師としても出席していただきました。
そして2006年、同学校の学校長として就任を賜りました。学校長として初めての学校が埼玉の地で開催されたのが大変印象的な思いとしてあった様子でした。学校の夕食懇親会や2次会の席で80年代当時の埼玉研究会活動とのかかわりの思い出を懐かしく語っていたのでした。
学校長として学校に出席できたのは沖縄開催が最後でした。今でも夕食懇親会での泡盛を美味しそうに飲まれていたあの笑顔が忘れられません。上畑先生本当にありがとうございました。
不肖ながら先生のご活躍の片りんでもと思い研究会を発展させていきたいと思っています。
上畑鉄之丞名誉学校長が亡くなられました。謹んでご冥福をお祈りします
全国労働安全衛生学校・代表 山田 厚
去る2017年11月9日、全国労働安全衛生学校の上畑 鉄之丞(てつのじょう)名誉学校長が肺がんで亡くなられました。77歳でした。
写真は2006年10月8日 第16期・全国労働安全衛生学校閉校式の上畑先生
1940年(昭和15年)に滋賀県でお生まれになり、1987年国立公衆衛生院勤務、疫学部成人病室長、栄養生化学部長、1997年国立公衆衛生院次長。2002-07年聖徳大学教授。2005年に過労死・自死相談センターを設立。日本産業衛生学会産業指導医、日本社会医学会理事長。過労死研究の第一人者です。1978年に発表した研究で「過労死」という言葉を初めて使われ、国内だけでなく国際的な権威でもありました。
上畑先生は、働く者のいのちと健康をまもるために全国各地の労働安全衛生活動に貢献されてきました。私どもの学校では前学校長であり、現在でも名誉学校長として研究会と学校の理論的な指導者として貢献していただきました。
日本の職場の現状では、過労死・過労自死がますますはびこり、その根本的な対策が求められているときだけに、極めて残念であります。私どもの研究会と学校は、先生の遺志を引き継ぎ、これからも労働安全衛生の確立に努力していきます。
11月13日の東京都調布市における告別式には千田忠雄学校長と研究会代表の山田厚が参列させていただきました。ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。
写真は2017年11月13日の告別式の様子